書籍・雑誌

2008年6月 5日 (木)

養老孟司と『郵便配達は二度ベルを鳴らす』

養老孟司さんのエッセイ『脳のシワ』(新潮文庫)を読んでいてこんなくだりが出てきた。

・・ 恋もまた、自然である。その成り行きは、だれにもわかりはしない。そういうものに、計画書はない。計画書のないできごとは、いまの世の中では、人気がない。支持者がいないのである。だから、人間の恋が滅びる。リスやネコの恋を見ているほうが、恋らしい。

(中略)「華麗なるギャツビー」は死ぬ。相手は、なにごともなかったように、ケロッとしている。

これが、男と女の恋の違いであろう。女は生き延びなくては、子供が育たない。男は種付けが済んだら、もはや不用である。これが、男と女の恋の違いに関する、唯一の論理的結論ではないか。(後略)

読んだ瞬間、ジェームズ・M・ケインの小説『郵便配達は二度ベルを鳴らす』のあるシーンにワープした。

筋は端折るけれど、逃避行のさなか、女は男に繰り返し訊ねる。「その先はどうなるの」と。なかば「ゲッタウェイ(GETAWAY):道行き」こそが目的となっている男とリアルな「その先」を見てしまう女。

男は生き延びるために「ここではない何処か」を必要とした。マンモスを追いかけていた太古の昔から、男は「遠くを見る」ことが習い性なのだろう。

男と女のこのズレこそは、自然が与えた絶妙のバランス、と諦めるほかない(笑)のかもしれない。

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2008年4月30日 (水)

私家版 きょうの名文!【11】 朝のリレー

カムチャツカの若者が

きりんの夢を見ているとき

メキシコの娘は

朝もやの中でバスを待っている

ニューヨークの少女が

ほほえみながら寝がえりをうつとき

ローマの少年は

柱頭を染める朝陽にウインクする

この地球では

いつもどこかで朝がはじまっている

>

ぼくらは朝をリレーするのだ

経度から経度へと

そうしていわば交替で地球を守る

眠る前のひととき耳をすますと

どこか遠くで目覚時計のベルが鳴っている

それはあなたの送った朝を

誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ

(谷川俊太郎 朝のリレー)

>

『谷川俊太郎詩選集 1』(集英社文庫)より引用いたしました。

「メキシコの娘は 朝もやの中でバスを待っている」というところが、好いですね。

おまけで、懐かしいCMを http://www.youtube.com/watch?v=2GYBc1X8SU8

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2008年3月 9日 (日)

惹句ナイフ ─ 腰巻きとか文庫本のバックプリントとか 【2】

文庫本より若干背の高いその本のカヴァーのスリーブ(袖)には、こう書かれてある。

誰にもみえていて誰もがみていない

歴史の言葉をはっきりみえるようにする。

むずかしい仕事をしおえて, 男は

煙草を一本ひきぬいて静かに吸った,

禁煙の時代の火薬庫のなかで。

>

まったく人をドキリとさせる

不器用な生涯を生きた男だった。

整然とつくられたものをにくみ

雑然としたものを愛し, 人びとのあいだで

土星の下で考えぬくことを好んだ男だった。

>

廻り道こそ真の近道なのだ。

そして廻り道をまっすぐ歩いてゆき,

男は二どと帰ってこなかった。

その忘れがたい男の名を, ぼくらは

ヴァルター・ベンヤミンとして知っている。

>

靴をはきつぶして一冊の本を

路上に読みつづけた亡命者だった。

後にのこされたのはただ一つの仕事だ。

索引だった,

索引なきぼくらの世界という一冊の本の。

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頭文字にNOという言葉をもつ

ぼくらの一人が描いたベンヤミンの

鮮やかな思考像は教えるだろうぼくらには今日

ベンヤミンが必要だと, 危機を読むために

ベンヤミンの索引にみちびかれて。

── 長田 弘(本書によせて)

『ベンヤミンの生涯』(野村 修 著・平凡社ライブラリー)より

>

長田 弘さんというのは詩人の方。

こういうのを読んでしまうともういけない。

この本を手にとってホントよかったと思う。

しかもまだこれはほんの「前戯」に過ぎないのである。

ああ読書って・・

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2007年11月19日 (月)

時には母のない子のように (完結篇)

「・・・ の不在の物語」  (「フラニーとゾーイー」再読 2)

サリンジャーは大きな「グラース・サーガ」を構想していて、最終的にはそれを書き上げたかったのではないか。というのが文庫本の解説などを読んでいるとわかる。たしかに読んでいても「グラース家の物語」に出てくる人びとはもっと読みたくなる魅力に溢れている。書くに値する群像である。

僕がサリンジャーやドストエフスキーの小説を面白いと感じる共通の魅力というか「驚き」があって。それが繰り返し彼らの物語を読む理由になっている。それは、何気ない人が不意に吐くセリフに「ハッ」とさせられるような哲学的深遠さや人生の知見が含まれていて、作品自体に「いのちが宿りだす瞬間」を経験するからなんじゃないかと。

グラース家はどうも7人兄妹のようであり、長兄シーモアの自殺がこの家族に大きな影を落としている。

初期の短編を集めた自選小説集「ナイン・ストーリーズ」のなかに「バナナフィッシュにうってつけの日」という話がある。この話に登場する主人公がシーモアであるが、この極短い小説の最後で彼は突然ピストル自殺してしまう。読むものにはかなりショッキングな展開である。なぜ?どうして?その後日談も背景も語られないまま物語はそこで終わってしまう。僕らは宙吊りにされホッタラカシにされるのであった。^

「バナナフィッシュ・・」のそれからについて、僕らは様々なグラース家の人びとの物語を通して知ることとなる。

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ところで、ジョン・レノンはミミ叔母さんに育てられた。幼い頃、両親が離婚、母親は別の男のもとへ。父親と暮らすことになったが・・である。少年時代のジョンはボヘミアン的に生きていたようで、どこかの廃屋で棺おけ!のなかで寝起きしていたこともあったという伝説もある。^キミはドラキュラ伯爵か!

彼はファースト・ソロアルバムの第一曲目「mother:マザー」でこう歌った。Mother, you had me. but I never had you. と。

ジョンの「それから」は、「母の不在の物語」なのかもしれない。

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2007年11月16日 (金)

「誰がパンを焼くのか」(21世紀はじめの・・)

Yeaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaah !! ;^。^きのうは賑わいましたね♪いきなりだもんあせったよおほっほほほhohoho

なんで英文字なん?

そのほうがアイキャッチャーとして面白いかなって・・でもまあ大勢のお運びで

営業努力の甲斐があったよ、おれも

・・・ ・・・ ・・ ・・ ・ ・ ツーーー

コトキレテどうすんの!

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(つづく)

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2007年11月15日 (木)

「フラニーとゾーイー」再読

このあいだからサリンジャーの「フラニーとゾーイー」を久しぶりに読み返していて、おやっと思った箇所があった。「フラニー」のはじめの方でボーイ・フレンドのレーン・クーテルに宛てたフラニーの手紙が出てくるのだけど。そのなかで彼女はこう書いているのだ。

・・(前略) わたしはあなたを愛して愛して愛してます。わたしが十一ヵ月の間にたったの二度しかあなたと踊ってないこと、あなたは本当に御存知?あなたがひどく酔ってしまったあのヴァンガード(訳注 ニューヨークのグリニッチ・ヴィレジにあるジャズ・レストラン)のときを別にしてよ。何だかわたし、救いがたいほど自意識過剰になりそう。ついでに申しますけど、もしもわたしが行くというので駅頭に堵列して出迎えたりしようものなら、あなたを殺してさし上げますからね。では、私の花よ、土曜日に! (後略)

ヴァンガードとはジャズ好きなら知らないものはいないくらい有名なあのニューヨークのジャズ・クラブ「ヴィレッジ・ヴァンガード」のことである。いつから書いてあったんでしょう?(笑)この「フラニー」が書かれたのは1955年。そして史上名高いソニー・ロリンズの「ヴィレッジ・ヴァンガードの夜」のライヴ録音が発表されるのが1957年である。さらには極め付きと言っていいライヴが1961年に繰り広げられるのですね。ビル・エヴァンス、スコット・ラファロ、ポール・モチアンのピアノ・トリオの歴史的名演。その模様は「ワルツ・フォー・デビィー」と「サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード」でじっくり楽しめる。

だから、つまりは「ヴァンガード」といえば当時もっとも旬なナイト・クラブだったわけである。

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「フラニーとゾーイー」J.D.サリンジャー著・野崎孝 訳(新潮文庫 昭和六十三年十月五日 三十刷)から引用いたしました。

 

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2007年11月10日 (土)

240名様、昇天。

私家版 きょうの名文! [ 6 ] としまえん の広告

240名様、昇天。

地上45メートルから急降下。未曾有の大物「フライング・パイレーツ」、としまえんに登場。

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僕の手許に「広告大入門」(広告批評・編 マドラ出版)という分厚い本がある。754頁、厚さは5cmもあろうかという辞書のような本。1992年6月10日初版。当時も興奮したはずだけど、いま改めて眺めてみると凄いメンツである。

糸井重里、仲畑貴志、眞木準、一倉宏、岡田直也、大貫卓也、佐藤雅彦、サイトウマコト、川崎徹、谷川俊太郎、横尾忠則、橋本治、柄谷行人、中沢新一、浅田彰、森毅、野坂昭如、天野祐吉 等など。まだすべて読んでないんだけどね。で、少し引用です・・

(前略)・・ みなさんには、コピーを書く企業や商品には絶対ホレ込むなということをアドバイスしておきたいな。僕らがコピーを書き始めた頃は、とにかく商品にホレろと言われました。(中略)脱線ついでに言っておくと、コピーライターブームといわれた時期には、人と違った感性で面白いことを言えばいいというような風潮もあったけど、いまは人と違う感性で何かを言っても届きません。コピーライターは特殊な才能、特殊な感性を持ってないとできないと思っていたら大間違いで、普通の常識人の普通の感性をちゃんと持ってないと、届く広告は作れない。広告なんてたいしたものじゃなくなってるんだから、しゃちこばっていたってダメで普通に、素直にやらないと受け入れられないんです。

いろんな情報を追っかけて、これからはこれが流行るゼ、というスタンスは、コピーライターには必要ない。そんなヒマがあれば、自分の身近な人が言ったこととか、普通の人が「なるほどな」と思えることをいくらでも発言してる。そっちのほうにアンテナを張っていればいい。普通の人が何気なくポッと言ったことが、そのままコピーになっちゃうような時代なんです。(後略)

注:太字強調は筆者(私)によるものです。

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こんなことを・・「普通」ってこと敢えて逆説的に強調してますけど・・言ってる人が新聞全面広告で4月1日に

史上最低の遊園地。 TOSHIMAEN

と やらかしてくれるのだから、広告は面白いのである。

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2007年9月27日 (木)

腰巻きとか、文庫本のバックプリントとか

どうしてそのようなことになりえましょう。

わたしはまだ男の人を知りませんのに。

処女にしてキリストを宿したとされるマリア。処女懐胎はキリスト教の中心に横たわる奇跡であり、夥しい図像を生み出してきた。「無原罪」の「罪がない」という否定の図像化一つとってみても、西洋絵画に与えたインスピレーションは巨大である。また、「養父」ヨセフや、「マリアの母」アンナはどのように描かれてきたのか。キリスト教が培ってきた柔軟な発想と表象を、キリストの「家族」の運命の変転を辿りつつ描き出す。

処 女 懐 胎

岡田温司著

描かれた「奇跡」と「聖家族」

(のカバーおよび「腰巻き」より引用 中公新書)

どうです。わくわくしませんか。思わず惹きこまれてしまいそうです。

本の題名と著者名がヘッドコピー(ヘッドライン)もしくはキャッチフレーズだとするなら、文庫本などのカバーの裏、本の背中に書かれている「口上」はさしずめ、ボディコピーもしくはリード文といえるだろうし、あの「腰巻き」はアイ・キャッチャーとか「のし」みたいなものか。

ともかく、この類いの文言が並んでいると、いい心持ちになってくる。ただ眺めているだけで「眼が悦んでいる」。フリーズドライされた脳ミソがふやけてくる。文庫本の巻末によくある僅か数行の紹介文も好きである。

だからまあ、この手のものを「偏愛している」といっても過言ではないのである。

この様な「前戯」を経ていざ本編へ・・ というのもまた読書の愉しみのひとつなのである。

♪見つめあって かみにタッチ WOHWOH

 ( by Keisuke Kuwata )

>>

coming up next ^。

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2007年9月16日 (日)

アップル。すべてのはじまりの (part 2)

林檎の木の下で 編

>> 

「イギリスはおいしい」 林望・著 (文春文庫/1996年10月25日 第6刷 版)から少し長くなりますが、引用させていただきます。

( ・・ 前略 )

「料理」ではなくて、その素材について言うならば、日本とくらべてもどことくらべてもおいしいものがイギリスには少なからずある。そうして、重要なことは、その「おいしさ」が、品種改良のような努力の結果ではなく、むしろその逆であることである。もうわれわれの国の農水産物が忘れてしまった(あるいは故意に捨て去ってしまって)何かが、たしかにこの国には生きている。そういうことは存外知られていないのではあるまいか。

 風の林檎

「ウィンド・フォールズ」という言葉がある。

 イギリスは緯度が高く概して寒い国なので、国中の至る所にリンゴの木が植えられている。特にリンゴ園というような所でなくとも、たとえばあちこちの屋敷の庭や、ときにはみちのほとりなどにも見かけることがある。秋になると、それらのリンゴの木々には青い実がみのり、紅葉につれて果実は段々赤く可憐に色づいてくる。幸か不幸か、そのころになると、イギリスの天気は日々厳しさを加え、毎日ビュービューと季節風が吹いたりする。雲が不安な様子で大空を移動し、晴れるかと思えば急に降ったり、一日の内で四季がめまぐるしく交代するような不安定な季節がやってくるのである。

 そのころ、コレッジの入口の所に大きな段ボールの箱が置かれ、ポーター(コレッジの専属の警衛兼用用務員)の書いたらしい字で「WIND FALLS どうぞご自由にお持ちください」という札が立てられる。この段ボール箱の中には、コレッジ庭のリンゴの木から風で振り落とされた実が沢山拾い集められて入っている。( ・・前略 )あのニュートンだって、コレッジの庭の木から実が落ちるのを見て万有引力の法則を発見したというのではなかったかしら。

中略

涼冷な風土の恵みか、イギリスには日本のようには病害虫が発生しないとみえて、庭のリンゴの木には一向に農薬なども撒かないようであるが、自然に花が咲き、実が熟して、風に吹かれては柔らかな芝生の上に落ちる。イギリスに人たちは、これらの果実をとって、台所の隅の棚の上や、キャビネットの中に入れて、もうしばらく熟成するのを待つのである。そして、何日かしてほのかに良い香りが漂ってくる頃になると、洗いもせず、セーターの胸あたりでチョイチョイとほこりを払うようにして、もちろん皮のまま遠慮会釈なく食べて、芯のごく真ん中の所だけ細く残して捨てる。大きさは、いたずらな品種改良の結果、奇形的に大きくなってしまった日本のリンゴと違って、両の手のひらにすっぽりと包み込める程の大きさで、丸ごと一個食べるとその水気でちょうど喉の渇きが癒され、食後、口の中には理想的な割合で酸味と甘みと芳香が残る。( 後略 )

>>

「アップル:リンゴ」というものは、イギリス、ヨーロッパの人々にとってなにか特別なことの象徴としてある極身近な「良きもの」なのだろう。

ビートルズのアップル・レコード(レーベル)、デスクトップ・パブリッシングの概念を創出し、PCの革命的飛躍をもたらした アップル・コンピュータ。コレッジの庭の木から風に吹かれてリンゴの実が落ちるのを見ていたニュートン。

わが愛しのアップル。すべてのはじまり。

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2007年9月15日 (土)

アップル。すべてのはじまりの

林望先生の「イギリスはおいしい」という面白い本のなかに、‘ワーズワースの林檎倉’という一章がある。

そのなかの一節に「風の林檎」という一連の名文がででくるところがあって。ウィンド・フォールズ なる言葉について、林望先生が英国人の「叡智」について、風土や文化について深々とした洞察・・聴いていてこころが踊るような、僕なんか早くイギリスに飛んでいきたくなった・・を披露してくれている。

なんでも・・

>> つづく

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2007年8月30日 (木)

表紙の男

表紙の男・茂木健一郎 >> 敏腕編集者の矜持 ENGINE 2007.10

新時代旗手!アウディ vs BMW
モンスター・アウディR8 の横で不敵な笑みを湛えた「鬼」と呼ばれる科学者
考え抜かれた清清しさ
引っ張りだこの茂木先生を表紙にしか使わないことが
かえってメッセージとなっているんだよな
この贅沢さ
その矜持!

鈴木正文 VS 茂木健一郎 を語る表紙 でもある。

とは言うものの、p.238~241には鈴木さんのvs 茂木健一郎 ・・対決後のコメントを読むことができるので、念のため。

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