養老孟司と『郵便配達は二度ベルを鳴らす』
養老孟司さんのエッセイ『脳のシワ』(新潮文庫)を読んでいてこんなくだりが出てきた。
・・ 恋もまた、自然である。その成り行きは、だれにもわかりはしない。そういうものに、計画書はない。計画書のないできごとは、いまの世の中では、人気がない。支持者がいないのである。だから、人間の恋が滅びる。リスやネコの恋を見ているほうが、恋らしい。
(中略)「華麗なるギャツビー」は死ぬ。相手は、なにごともなかったように、ケロッとしている。
これが、男と女の恋の違いであろう。女は生き延びなくては、子供が育たない。男は種付けが済んだら、もはや不用である。これが、男と女の恋の違いに関する、唯一の論理的結論ではないか。(後略)
読んだ瞬間、ジェームズ・M・ケインの小説『郵便配達は二度ベルを鳴らす』のあるシーンにワープした。
筋は端折るけれど、逃避行のさなか、女は男に繰り返し訊ねる。「その先はどうなるの」と。なかば「ゲッタウェイ(GETAWAY):道行き」こそが目的となっている男とリアルな「その先」を見てしまう女。
男は生き延びるために「ここではない何処か」を必要とした。マンモスを追いかけていた太古の昔から、男は「遠くを見る」ことが習い性なのだろう。
男と女のこのズレこそは、自然が与えた絶妙のバランス、と諦めるほかない(笑)のかもしれない。
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