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2008年3月

2008年3月31日 (月)

花冷えとか、クロサワとか、トホホな「ドクサ」とか

花冷えだなあ。桜が咲いたのを見てからこっち、ずっと寒い。大阪市内より2~3℃低いと言われているからここ南河内は、特に冷えるのかな。大和川を越えると空気が違うのだそうだ。金剛山から吹いてくる風は六甲降ろしより冷たいらしい。・・イマイチさあ花見だって気分にならないよな。ツバメも一度来たきり、どこかへ行ってしまった。でもマア昔は、入学式の頃に桜が満開になるってのが風物詩だったわけだから。これくらいでちょうどいいかも。

ところで、4月5日(土)からNHK-BS2で黒澤明監督作品が一挙30作放映されるとのこと。流石NHK、やることがハンパじゃないねえ。http://www.nhk.or.jp/kurosawa/

予告篇を観たけれど、俳優・三船敏郎の放つオーラ、存在感って凄いものがあるなアと。黒澤監督もずいぶんインスパイアされたんじゃないかと想像する。小津安二郎監督にとっての原節子と同じ様に。

このBS2の「没後十年 黒澤明特集」、年末まで続くロングランのようなので、じっくり愉しめそうだ。

黒澤明にしても小津安二郎にしてもどうも海外での評価の方が高いようである。海外からの、特に欧米からの「伝来」したものを何でも有難がる、海の向うで評価されてようやく逆輸入的に受容されるってパターンが(いわゆる『箔がつく』ってやつですか)何だか情けないくらいお決まりになっている気がしませんか。つまりは文化・芸術を見る眼がない・・のだろう。教育の問題というより総体としての力がないのだろう、この国に。いったいこのトホホな「ドクサ」は誰にかけられたのだろう。

漱石先生が『三四郎』を書いてから百年が経つ。ヒャクネン・・

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2008年3月30日 (日)

六甲山のオルゴール・ミュージアム

近藤君にもらった招待券で六甲山にあるオルゴール・ミュージアム「ホール・オブ・ホールズ 六甲」へ行ってきた。

何だかんだで出るのが午後になってしまった。阪神高速神戸線・魚崎出口で降り、43号線を神戸方面へしばらく走ると六甲山方面の看板が出てくる。右折し山頂をめざす。途中、神戸大学の横を通りトンネルに入らず手前左ラインを通り、六甲山山頂の看板を見て右方向へ。ワインディング・ロードへ入る。

まずまずのお天気だったので、二輪ライダーもチラホラ。HONDA BEAT で走ればさぞかし気持ちがイイだろうナア・・ 血が騒ぐ。

六甲山ホテルを過ぎ、しばらく走ると右手に「ホールズ・オブ・ホールズ 六甲」がある。

オルゴール・コンサートが始まったばかりということで、さっそく2階へ。オルゴールとはいうものの手回しオルガンから大仕掛けの「自動演奏楽器」と呼ぶにふさわしいものまでさまざま。なかでも楽しかったのはまさに「からくり人形」というべき「片手倒立する道化師」。

080329_162901 <・・コンサート風景

080329_165601  <・・3階にいたストリート・オルガンを回すおじさん(笑)

これからの季節、特にいいんじゃないかなア、六甲は。今回は行けなかったけど、六甲牧場とか、高山植物園もあるし。少し足を伸ばせば有馬温泉。ツーリングにもうってつけですね。

夕方からは久しぶりに神戸の街をゆっくりドライヴしながら帰った。

石屋川の博多ラメーンのお店の駐車場で初めて赤い生(なま)・アウディR8を目撃。

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2008年3月29日 (土)

さよなら、藝大ベイビィーズ ~上野の森の思い出

nomgrooveアーカイブス presents:

佇むひと あるいは視るひと としての私
風のモバイラー on the Dancing Street in Tokio

今朝のアップはきっと早いに違いない・・

私は 早朝の上野 天神下の交差点から御徒町へ向かう すでに活気づいた通りに佇みながら直感的にそう思った

きのう白洲信哉さんの講義を聴かせてもらったあと 上野公園某所での酒盛りに加わって 久しく経験していなかった感覚に包まれながら それこそ 藝大フレンズ♪ との一夜をこころから楽しんでいる 自分を発見して 良い心持ちだった

なんだか 学生時代の芸鑑のコンパ(関学の芸術鑑賞会というヤバイ
サークルがあって 一度現役生とOB会のコンパをやって以来 今まだ
存続してるのかどうか・・)を思い出して 懐かしい旧友に再会した
ような そんな 宴エン でした

この場を借りて 茂木マタギ先生 白洲師匠!ならびに茂木研の諸君にお礼申し上げます おつかれさまでした それから・・

タンデス?岩本さん 絵本作家でもある大槻ちゃま 講義のときアブナイまなざしで座り込んでたイカレタBaby♪ダンシングチェリー山形の君
&フォトジェニック好きの私を喜ばせてくれそな 写真家にして造形作家の長野帰りの杉原君 私に 絶対呑んで運転しちゃだめですよ!と釘を刺してくれた(痛かったぜ)イガグリ小僧クン ・・また名前おしえてね ちょいもこみち似のイケメン枚方出身 古川くん・・
越前屋俵太フリークにして探偵ナイトスクープマニア!の武蔵野美人の君よ 先生を茂吉と呼ぶ ・・そして私の まだだいぶ残っていたパック入りコーヒーを砂まみれでおじゃんにした(笑)長島の君よ ・・
親戚の酒屋さんが羽曳野にある ホテルカリフォルニアの歌詞に詳しくてらしゃって感激しました!電通のジェントル&ちょいワルおやじ系のお名前こんどおしえてくださいさま ・・みんなみんなアリガトウ

>>
で 上野の路上で朝っぱらから 何で佇んでいたのか・・って?
なぜ シブヤでなくって ウエノなのさ ってかぁ?

昨夜未明 コバラが空いてもりそば二枚を食べ終わって シアワセな気分でHONDA BEAT のシートにおさまり LED ZEPPELINのデビューアルバムを気持ちよく聴きながら・・煙草を・・まではおぼえてるんだけどね・・
目が覚めると朝陽が燦燦と降っていて街は始動して先生はブログを案の定アップしていて おいらのクルマはバッテリーがアップしていたのさ
Babe!
ドンドン!おあとがよろしいようで・・さよなら!藝大Babyよ

http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2007/06/post_aef2.html

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2008年3月27日 (木)

何者かになるためのドラマツルギー Ⅱ

ブログの壺というか肝(きも)というのは、ココログであれば「アクセス解析」なのかもな、と思う。

この旅籠「風のモバイラー」にどんな人が訪れているのか、どの記事が観られているのか・・に思いを巡らすことは、ひとつの「張り合い」である。僕はアクセス地域を見るのが好きですが。

・・例えば、この前までは、佐賀の人と徳島の人はまだこの旅籠に来たことがないなあ、とか言ってて。お正月前後に来てくれたことがわかった時は嬉しかったな。これで全国制覇だとか(笑) マア北海道から沖縄まで日本全国津々浦々の人が観てると思うと不思議と言うか、ある種の感動がありますね。いわんや世界をや、であるナアと。

そんなわけでつい今日の午前10時までメンテナンスでしばらく使えない間は、ちょっとした飢餓感を覚えたのだった。

午前。『地下室の手記』を買い直そうと思って、ブックスファミリアへ行く。江川卓さん訳の新潮文庫版を探すが、ない。見ると光文社古典新訳文庫(安岡治子・訳)で出ていたので買う。雑誌のコーナーへ行くとENGINEがイギリス車特集をやっている。持ち合わせがなくしぶしぶ帰る。

気になっているところを読み返す。

この呪詛の言葉に満ちた独白の物語『地下室の手記』で主人公が「何者にもなれなかった」自責の念に駆られるくだりが印象に残っていて。

この「何者にもなれなかった自分」というのは、確か『悪霊』でもふたたび出てくるキー・ワードなのである。

自分の内に広がる虚無と向き合うふてぶてしいまでの実存的ピカレスクとしての「俺」。ニヒリズムとの、あるいは自意識とのくんずほぐれつの決闘。

茂木健一郎先生の講演のなかで、開高健が「薔薇が美しいのは自らが美しいと思って咲いていないからだ」というようなこと言っていて・・という引用が出てくる。花はただひたすらに咲いているからこそ美しいのだと。

「彼」のこのモノローグの劇が容易に終わらないものであるのは、読んでの通りである。だが、この疫病神のようなドラマを経ることなしには、ラスコーリニコフの「試み」もマルメラードフの「哲学」も生まれることはなかったに違いない。

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http://www.amazon.co.jp/%E5%9C%B0%E4%B8%8B%E5%AE%A4%E3%81%AE%E6%89%8B%E8%A8%98%EF%BC%88%E5%85%89%E6%96%87%E7%A4%BE%E5%8F%A4%E5%85%B8%E6%96%B0%E8%A8%B3%E6%96%87%E5%BA%AB%EF%BC%89-%E3%83%89%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%A8%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC/dp/4334751296/ref=pd_sbs_b_title_1

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2008年3月25日 (火)

ツバメ舞う または、とてもハートブレーカーな彼女

朝、ツバメが我が家の軒先に飛来す。玄関の軒下にある去年の古い巣をしきりに検分しつつ、タッチ&ゴーを繰り返し始めた。ことしはだいぶ早いのではないか。さながら、航空母艦にタッチダウンを試みる戦闘機のようだ。

しばらくウットリとその舞を眺める。やはり飛行術にかけては彼らがピカイチである。飛べ、若いツバメよ・・

「若いツバメ」ってさあ。実はこの言葉、明治のフェミニストの先駆者といわれる女性・平塚雷鳥と年下の青年画家との恋に由来するのだそうだ。http://zokugo-dict.com/44wa/wakaitubame.htm

この平塚雷鳥という女性、漱石の『三四郎』で描かれた美禰子(みねこ)さん(禰って変換したよ!)のモデルともいわれている。

そうでした、言い忘れてましたけど、「すべての女性は美禰子さんかもしれない症候群」のみねこさんとは、『三四郎』で主人公・三四郎を袖にして別の男のもとへ嫁に行ってしまう、なんとも「ハートブレーカー」な彼女のことです。

ちなみに‘HEARTBREAKER’とは、αモーニング京都の佐藤弘樹さんのウケウリですが(笑)、「ハートブレイクさせる方の人」のことを言う。日本語で言うところの「罪なひと、ツネツネ・・」といったニュアンスの英語ですね。・・ウーム、だからレッド・ツエッペリンのあの「ハートブレーカー」はあんなにも狂おしいわけですね・・

漱石は「ハートブレーカーとしての美禰子さん」をこう評しています。

『三四郎』(夏目漱石 著・新潮文庫)の解説(柄谷行人)からの孫引です。

・・・

漱石は、美禰子について、「無意識の偽善者(アンコンシャス・ヒポクリット)」といういい方をしている。《その巧言令色が努めてするのではなく、殆ど無意識に天性の発露のままで男をとりこにする所、勿論善とか悪とかの道徳的観念も、無いで遣っているかと思はれるやうなものですが・・・・・》

三角関係の変奏曲・・漱石の小説をそのように「読む」ことも、また愉しいのではないか、と思いながら、「我が家の春の来訪者」を眺めている。

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51tp8gdwwml http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%89%E5%9B%9B%E9%83%8E-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%A4%8F%E7%9B%AE-%E6%BC%B1%E7%9F%B3/dp/4101010048

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2008年3月24日 (月)

どうにもねばねばな私の四国・香川サラサラ日記

昨晩、四国・香川から帰ってきた。池田の叔父さんの納骨を済ませることができて少し肩の荷がおりた心持ちである。

ここのところ、なにかと「やらねばならない」ことが多くて「ねばならない」粘粘状態が続く。「セイネンコウケン」の申立ても進めていかネバナラナイ。それをやらねば事態が動いて行かない状況である。この「成年後見」の申立て、ことのほかネバネバである。でも一歩一歩進んでゆかねばね。

そんなどうにも粘粘な私も、「四国の叔父さんち」で一泊し、心からの歓待を受けて有難く暫くゆったり過ごすことができた。

本の山脈はあいかわらず健在である。なお造山運動は活発のようだ。

080323_10000101_2 麓から遥か山頂を望む(笑)

08年3月23日撮影

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ネイティヴ讃岐うどんもたらふくご馳走になった。

レシピも教わったので、いずれ「讃岐うどん打ち」に挑戦するとしよう。

私にとっての讃岐うどんは、昔、おばあちゃんがそして今、叔父さん叔母さん夫婦が打って作ってくれるうどんのことである。わざわざ出掛けていって食うもの、という認識がなかったね。そもそも。

だから、讃岐うどんマニア!「鈴丸」ことムッシュウ吉田の「うどん探訪記」などを読んでいると、ネイティヴ・めんEATERもどきの私などその情熱は驚異ですらある。なにせ仕事と称し(笑)、ほぼ毎月のように四国へうどん遍路しているようなのである。いつかその探訪記を紹介したいと思ってますが・・

マアともかく、無事よい旅ができ、気分はサラサラとなった私である。

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2008年3月21日 (金)

時代のボキャブラリー

それでまたビートルズの「青盤」を聴いている。聴いていて清清するなア。

この時期の彼らの、とくに1967年辺りの、「雰囲気」というか「気配」というのは独特である。瑞々しいというか、ひきしまった若い「狩りが楽しくてしょうがなくて」サバンナを駈け回るチータ、あるいはサラブレッドでいえば、ひと冬を越し4歳に成りたてのブリブリの牡馬、というような。

いつぞやの「クオリア日記」に、作家の島田雅彦さんと茂木健一郎先生のやりとりで、「たとえば、夏目漱石の作品にはその時代のボキャブラリーが『すべて』入っている。」という意味合いのことが書かれていた記憶があって・・

その伝でいえば、当時のビートルズには、その時代の音楽的ボキャブラリーをすべて内包したようなところがあるのである。

そして、彼らの内部で「新しい言葉」を必要としたとき、ザ・ビートルズは解散せざるを得なかったと。時代がその「新しい言葉」を求めた、ともいえるし。

ある時、優れた表現には「すべてが宿る」永遠性を刻む瞬間がある。それこそがアートの醍醐味というものであろう。

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http://www.amazon.co.jp/%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%A0%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88-%E5%9B%BD%E5%86%85%E7%9B%A4/lm/2CZ66FM01WUHI

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2008年3月19日 (水)

僕が「ジュッカイの身の上」だった頃 その1

長屋というには存外瀟洒(しょうしゃ)な二階建ての洋館。めぞん「一刻館ヌーヴォ」。

この長屋で僕は長らく「ジュッカイの身の上」、つまりは居候だった。落語を聴いたことがない、という奇特な人に補足しておくと、「長屋の二階で厄介になっていたから、しめてジュッカイの身の上」なんだけどなア・・わっかるかなあわかんねえかもしれないなあ・・

そこはいろんなところが「いけいけ」になっていた。今でもそのまま「いけいけ」なのだろうな、たぶん。僕のやっかいになっていた部屋の壁にはひと一人通れるくらいの穴が開いていた。僕はこの「穴」ノムコウの隣人にずいぶん迷惑していた。その隣人は「風のモバイラー」と言った。

どうメイワクだったのかはいずれ話したいと思うけど、あんまり迷惑だったんである時、この長屋の大家の茂木健一郎さんに・・大家というには存外若々しい学者タイプ・・「プライバシーの侵害」をタテにこの「穴凹」の修繕を訴えた。・・でも「面白いからそのまんまでいいじゃん」って。とりつくシマもない。「そうですよね。共益費どころか家賃も払ってないんで(笑)、まあしょうがないですよね!アハハ・・」なんてスゴスゴ退散したっけ。

仕方なく僕は悪魔・・じゃなかった(笑)「風のモバイラー」と「ある取引」をした。

そんな僕の「ジュッカイの身の上」だった頃の日記。

2007年8月28日

L-M-H-R

>>ビートルズのベスト盤である赤盤と青盤のジャケット写真の四人を見比べれば、彼らの実質約8年間の大旅行がどのように「凄まじい経験」であったのかがわかる。

彼らと「ほぼ同期」といっていいストーンズの存在を考えれば、今となってはわずか8年である。でも駆け抜けたスピードはトンデモナク速かった。想像を超えて。その活動のピークに創られたのが、
アルバム「サージェント・ペッパーズ~」である。

この作品の持つロック・ヒストリーにおける意味やその後、彼らが
(とくにレノン&マッカートニーが)THE BEATLESという
化け物と、どう対決していったか。については、いまや巨匠といってもよい渋谷陽一氏(ロッキング・オン社のボス!)の著作に詳しい。

ともかく、ロック・ミュージックの概念を開放し押しひろげつづけたのが彼らだったし、いま日本のポップ・ミュージックのトップ・ランナーのほぼ全てがインスパイアされた原点であることに間違いない。

「ビートルズはサンデー・サイレンスである。」
まあ茂木先生のファンの皆さまにはわかりづらいかもしれないけどさ。
彼らの蒔いた種子は、70年代にロックの爆発的な進化をもたらすことになる。
まさしくディープ・インパクト!
もうすぐ秋競馬開幕だ♪

http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2007/08/post_b391.html#comments

(つづく)

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2008年3月17日 (月)

またキミにアエル。

ふたたび昨日。

「アリオ」で彼女に出くわした。

やっぱり放っているオーラが、「引力」が違うのである。化粧品の売り場だった。

蛯原友里・・。彼女の真新しいSEXYポップに思わず吸い込まれそうになりながら、踏みとどまった。

2006年アネッサのTVCMで衝撃を受けて以来・・2006nomgrooveAWARD!! 銀賞受賞(笑)・・EBIチャン・ウォッチャーとなってしまった私。(オッチャンではないのでね、念のため)

http://www.youtube.com/watch?v=Qw8w3uWqYjQ&mode=related&search

翌年の彼女もステキだった。初夏、「PCを抱いた渡り鳥」だった私は彼女と再会し、ずいぶん励まされたっけ・・

http://www.youtube.com/watch?v=gHVekeArlOM&feature=related

ケツメイシ・フィーチャリング蛯原友里。

流石ケツメイシ、いい曲だなア。「トモダチ」を聴きながら涙して以来、

http://www.youtube.com/watch?v=vpAeAqUYYFk

彼らはただ者じゃないと、睨んでいたが、やはりやってくれた。

「吸い込まれる」といえば、

1980年代MTV華やかなりし頃の名作、ahaの「テイク・オン・ミー」もYouTubeにのっけられているのでコレもオススメです。

http://www.youtube.com/watch?v=RMWXyEHoN88&feature=related

マアそんなことで、ちょっと気が早いとは思いながら彼女の2008アネッサ・ヴァージョンを探してみたが、まだない。そらそうだろう・・まだ三月なんだし。

でもPOPが店頭を飾ったということは・・

もうすぐ、また君に会える日も近い、ということに違いない。

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「血は立ったまま眠っている」 寺山修司讃

ころがりしカンカン帽を追うごとくふるさとの道駈けて帰らん

(寺山修司)

昨日。八尾にあるショッピング・センター「アリオ」へ行く。Ito Yokadoをキーテナントとしたいわゆる「複合型商業施設」。最近、この手の「回廊型ショッピングモール」というのが流行りなんだろうな。地上1階から3~4階まで吹き抜けで回廊式にショッピングが楽しめて、映画館まであるというのが。

隣は西武百貨店。ロフトや無印良品も入っている。

昔、学生の時に・・1983年頃か・・ここ八尾西武ホールで、寺山修司さん主宰の演劇実験室・天井桟敷の公演を観た。『レミング ─ 壁抜け男』。今でもその舞台の鮮烈な印象は目に焼き付いているけれど、奇しくも、手に入れたチケットが寺山さんの追悼公演になろうとは思いもよらぬことだった。美しい舞台だった。

それから25年、四半世紀である。なんだかなあ・・

あの頃自分が抱えていた「自意識」への問題意識と、今も本質的には大して変わりがないような気がする。歳を喰って、おまけに人まで喰って(笑)、多少は現実生活で「図々しく」ふるまえるようになっただけで。

ただもう揺らがないだろうと思ったりもする。TO BE A ROCK, NOT TO ROLL である。

このレッド・ツエッペリンの稀代の名フレーズとイーグルスのYou can checkout any time you like, but you can never leave という、これまた空前絶後の名セリフは僕にとって「ワンセット」である。

僕らは「いつか何処かで」ではなく、「此処で」虹を掴まねばならないはずである。

寺山修司さんを思い出すたび、ココロがざわざわと、ザワザワザワと!

波立ってくるのである。

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雲雀の血すこしにじみしわがシャツに時経てもなおさみしき凱歌

ラグビーの頬傷は野で癒ゆるべし自由をすでに怖じぬわれらに

(寺山修司)

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編集 注:文中の短歌は『寺山修司詩集』(ハルキ文庫)より引用いたしました。

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2008年3月15日 (土)

↑上空ひばり

あまりにいいお天気だったので、じっとしていられなくて。

下の子(小さくても♂^。^)を連れてBEATで羽曳野の運動公園内にあるビオトープへ行く。・・がしかし、じつに閑散としていておまけにメダカも水生昆虫も、どれだけ目を凝らしても見えなかった。さらにワルイコトニ、おけらの死骸が浮いていた・・ だからといってセメルわけではないが、これだからお役所関係のやることというのは・・ と思う。ちゃんと管理しているのだろうかと。「日々の丹精」が伝わってこない少しばかりお寒い状況を呈している、と僕には感じられる。ハコモノでもなんでも「取り敢えず作っとく」のは得意のようですが。

それでも、↑上空では、ひばりがしきりに鳴いている。おおっ、春だ。春。

ワラエよワラエ、お寒い「名ばかり」ビオトープなど。

近くの住宅地の一角にある公園の滑り台で足止めを食らう。実に目ざといヤツだ(笑)

頃合いを見計らい、BEATのパッセンジャー・シートへいざなう。シメシメ・・

近くのコンビニに寄りドリンクを買う。ヤツはマーブルチョコ。ゴキゲン・・シメシメ、ふふふ

南阪奈道下の道から阪和道下の道へ合流し、さらに中央環状を堺方面へ。そしてR309に入り南下。

助手席が静かだ・・ 眠ってる。^ふふふシメシメ。

ズドーーンと外環(R170)を突っ切り、石川を越え、トンネルを抜け、河南町道の駅を過ぎ、赤いアルファロメオ・スパイダーをぶち抜き行くと、ドンツキがT字。そこを左へ。

河南町の丘陵地を今度はひたすら北へ。右に大阪芸大を見て次の交差点を右折。太子町に入り竹之内街道をめざす。近くには安藤忠雄設計の近つ飛鳥博物館と近つ飛鳥風土記の丘公園がありココはオススメです。

どんどんのぼってゆくと太子町道の駅が左に。過ぎてスグ左へ。アップダウンの続く恰好のドライヴコースが現れる。しばらく走ると柏原の葡萄畑が広がる。この辺りには梅酒のチョーヤの本社もある、確か。

ドンツキのT字に差し掛かり左へ。しばらく行くと石川沿いの道に出る。そこを左に折れて近鉄電車の単線の踏切を渡ると南阪奈道の高架が見えてくる。川沿いを走ってその高架の下の橋のところで右折。石川を渡る。渡ってスグ左にパチンコ123と併設の「延羽の湯」がある。ココもオススメです。

橋を渡って高架下の道をまっすぐ行けば外環に出る。突っ切ってさらにひたすら南阪奈道沿いを走れば阪和道の高架が見えてくる、というわけでこれでグルッとひと回りしたことになります。

これはなかなかのドライヴ・コースだと僕は思います。途中R309沿い美原町にはあのコーヒー・ショップ「はたち」もあるしね。

マアなんといっても今日一番のWhat's new !! は、三月のヒバリだったなあ。

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2008年3月13日 (木)

特異点にて ~続・「ドラえもんのポケット」を持つ男 あるいは、佐々木部長はあの曲の歌詞には「スピリットは1969年以来置いてません」って出てくるんだよ、と言った

最近、イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」を聴き直していて。ヒットした当時はほとんど気にも留めてなかったんだけど。

あの曲で歌われる最後のフレーズ

You can checkout any time you like,

but you can never leave !

っていったいどういうことなんだと。おれを拉致でもするのかよ(笑)って。

「あなたはいつでも好きな時にチェックアウトはできる。」そらそうだ・・BUT

「だけど、そこから立ち去ってしまうことは、逃れることは決してできない。」

どっどういうこと?ネヴァ・リーヴって。それどんなホテルだよって。

そこでおれはマスターを前に自説を展開する。

http://nomgroove.cocolog-nifty.com/cafemania/2008/01/spirits_8340.html

1960年代末、彼らがロック・スターを夢見て仲間とカリフォルニアにやって来た当時の「輝かしい未来」は失われてしまったと。

So I called up the Captain,

‘Please bring me my wine’

He said, ‘We haven't had that spirit here since 1969’

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「これでしょ?」

マスターが取り出したのは「ホテル・カリフォルニア」のオリジナルLPジャケットだった。

「ヘエー・・ そうこれこれ。懐かしいなあ」

おれは半ば感心しながらマスターのクールな、でも何となく嬉しそうな顔を見た。

「そんな楽屋裏をバラしちゃったような曲を書いちゃったら、もう書けませんよね・・ 」

「そうだね・・」

「かけますか、久々に」

「うん」

いったいこのマスターどこまで「引出し」持ってるんだ・・ 

おれはこの店を見つけた自分の嗅覚の鋭さに、いや「この素敵な偶然に」ある種の驚きと満足感を覚えながら、「ホテル・カリフォルニア」のイントロを聴いていた。

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後日談になるけれど。

その翌日、正確にはその日の午後、上野の東京藝大で茂木健一郎先生の講義に参加した。

ゲスト講師は白洲信哉さん。講義のあと「二次会」があって、上野の森の公園で酒盛りとなった。ただ愉しかった。いろんな人と楽しい時間を過ごした。

その時、おれは懲りずに「ホテル・カリフォルニア」のネタを話していた。

「ばちゅうきゃんネヴァりーぶ ってどういうこと?どんなホテルなんだって・・」

「あの曲の歌詞には『スピリットは1969年以来置いてません』って出てくるんだよ」

講義の時、最前列の一番左に陣取っていた紳士がそう言った。

ここにもまた「剣の使い手」が。

その紳士は、後日茂木先生のブログ「クオリア日記」で電通の敏腕広告マン「佐々木部長」その人だとわかった。

世界は広い。いろんな「剣の使い手」が旅をしている。

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おすすめサイト:http://g-onion.hp.infoseek.co.jp/hotel%20california.html

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旅芸人としての「私」

母さん、僕のあの三度笠はどこへ行ってしまったんでしょうね・・

♪Mama, Do you remember ~

あれはムッシュー米田と HONDA BEATで遊んだ去年のことだった。

当時いきつけのカフェ「ショコラ」で楽しく過ごして、暫くクルマに乗ってムッシューを送る道々、ふと見るといつも乗っけてあった三度笠がなくなっていた。

ふたりしてオープンで乗っていたのだ。風に煽られ飛んでいったのならわかるはずである。それとも話し込んでいて気付かなかったのだろうか。結局、そのお気に入りだった三度笠は何処へか消えてしまった。

「・・・ナニをまたタワケタことを書いておるんじゃ。余程ヒマとみえるな。」

「は、博士え~、ノックもしないで入って来ないでくださいよオ、どうも背中に悪寒が走るなと思ったら・・ ひとの日記覗き見しないでくださいよオもう・・-。-」

「背中にオカンが走ったら大変じゃ、背骨が折れちまうぞ、どすんズシン・・。^」

「誤魔化されませんよそんなオモシロクモナイ・・ 僕にだってプライバシーぐらいあっていいんじゃないですか!」

「よくないよ。ゴクつぶしにプライバシーなんぞありゃせん。与えると危険じゃ。『基地外に刃物』じゃ。そうゆーパブリック・プレッシャーがないと人間、成長できんぞ。よいか弟子ども。こないだの『プロフェッショナル』を観たか?」

「弟子・・ 助手じゃなかったんですか・・ ああ観ましたよ。『逆風のなかでこそ人は成長する』でしょ。延吉正清さん・・いいお顔してたなア。マア博士の牽強付会=こじつけ にも一理ありますがね・・ でもあの三度笠どこへ行ってしまったんだろうなア。あれはね、そう、プロフィールの写真でもかぶってますけど、博士にも読者の皆さんにも言っておきますけど、れっきとしたお遍路用の笠なんです。

去年のお正月、四国の叔父さんちで過ごして、何気なく置いてあったんでこれいいなと。『風のモバイラー』にお誂え向きだと。呉れるって言うから有難く。聞けば100円ショップのダイソーで置いてあるって、流石 四国のダイソーはひと味ちがうなと。・・オープンで乗ってて急に雨降って来た時なんか便利で・・。^ 」

「・・・ ながなが解説アリガトウ・・ 折角なんじゃ、そのままお遍路行っとけば悟れたのかもしれんな・・可哀相に・・」

「・・・ ドンドンб。б」

「なんじゃその眼は!?」

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2008年3月11日 (火)

空気が甘いということは

春なのである。宵闇せまる夕暮れ時、空気が甘い。花が咲き出すから甘いのか・・ 。とにかく「緊張していた空気が緩和されて」ちょっと甘ったるくなっているのです。わかります?

きょうは1日よい天気だったので、BEATをずっとオープンにして走った。

アコード・ワゴン(96年式)が車検で、ある書類を届けに近畿運輸局大阪支局和泉自動車検査登録事務所へはじめて行った。今回ユーザー車検を試みようとしたけど、右フェンダー部分を破損したままにしていてウィンカー部分のカヴァーも壊れたまんまだったので、それでは車検が通らないとわかり断念した。日頃から整備点検していないとユーザー車検は難しいですね。

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和泉自動車検査登録事務所にて

午後。今度は書類を受け取りに池田市の市民病院へゆく。用が済んで近くのデニーズで一息入れる。アイス・コーヒーを飲む。今年初めて飲んだんじゃないかな。

叔父さんとここでゆっくり会ったのが最後になったのを思い出していた。

一ヶ月近く「放蕩」して帰って来て悪びれずにいるおれを前に、美味しそうにビールを飲んでいた。その姿を思い出した。

季節はめぐる。

空気が甘いということは・・

梅が咲いたということは・・

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(深煎り珈琲のつくり方は、またのお楽しみということで。^ゴメンナサイ)

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2008年3月 9日 (日)

惹句ナイフ ─ 腰巻きとか文庫本のバックプリントとか 【2】

文庫本より若干背の高いその本のカヴァーのスリーブ(袖)には、こう書かれてある。

誰にもみえていて誰もがみていない

歴史の言葉をはっきりみえるようにする。

むずかしい仕事をしおえて, 男は

煙草を一本ひきぬいて静かに吸った,

禁煙の時代の火薬庫のなかで。

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まったく人をドキリとさせる

不器用な生涯を生きた男だった。

整然とつくられたものをにくみ

雑然としたものを愛し, 人びとのあいだで

土星の下で考えぬくことを好んだ男だった。

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廻り道こそ真の近道なのだ。

そして廻り道をまっすぐ歩いてゆき,

男は二どと帰ってこなかった。

その忘れがたい男の名を, ぼくらは

ヴァルター・ベンヤミンとして知っている。

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靴をはきつぶして一冊の本を

路上に読みつづけた亡命者だった。

後にのこされたのはただ一つの仕事だ。

索引だった,

索引なきぼくらの世界という一冊の本の。

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頭文字にNOという言葉をもつ

ぼくらの一人が描いたベンヤミンの

鮮やかな思考像は教えるだろうぼくらには今日

ベンヤミンが必要だと, 危機を読むために

ベンヤミンの索引にみちびかれて。

── 長田 弘(本書によせて)

『ベンヤミンの生涯』(野村 修 著・平凡社ライブラリー)より

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長田 弘さんというのは詩人の方。

こういうのを読んでしまうともういけない。

この本を手にとってホントよかったと思う。

しかもまだこれはほんの「前戯」に過ぎないのである。

ああ読書って・・

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読み齧りでナンデスガ・・ 「グッとくる左翼」って言ったって

「左派の言説が影響力を失って久しい。だが、なぜこれほどまでに、その権威は失墜してしまったのか。ことに所得格差の拡大やワーキングプアの急増に代表されるような、古典的ともいえるわかりやすい貧困問題が表面化している現在、社会的な「平等」と弱者の救済を唱えるはずの左派が世論に訴えかける力を失っている現状は、ほとんど奇異ですらある。」

(芹沢一也氏 論座 2007年4月号 特集『グッとくる左翼』より)

積読になっていた本やら何やらを整理していて、真っさらな(笑)それが出てきたので、ひっぱり出して読んでいる。柄谷行人、吉本隆明の名があったし、『それでも本屋が好き!』という別の特集も組まれていたので買ったのだった、その時は。

確かに奇妙なくらいのサヨクの凋落ぶりではある。でも、グズグズの「保守」が相手じゃファイトも湧かないんじゃないのかな、なんて思うんだよな。

「プリンシプルの無い保守」なんてこの世にあるのか?って思ったけど、しっかりこの国にあったわけでさ(笑)

暖簾に腕押し、糠に釘。柳に風の馬耳東風。二階から目薬、昼行燈・・

それに比べて、彼の国・真っ当な保守がデーンとある英国の人たちは幸せだ。少なくとも若い人たちにとっては「生きやすい」のではないだろうか。闘うべき相手がはっきりと見えるからだ。ビートルズやストーンズ、ツエッペリンが、はたまたポール・スミスが出て来たのは、「グッとくる保守の国」ゆえではないかと、僕は確信をもって思う。

この国の「鵺(ぬえ)のような保守」はサヨクを、そして若者の健全な反抗心を育まないどころか、スポイルする。

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2008年3月 7日 (金)

人生みたいな ─ おせいさんのアルフォリズムを読みながら

若い人は「人生」なんて言葉、大嫌いじゃないだろうか。虫酸が走る唾棄すべきものとして(笑)「たかをくくって」見ているんじゃないかのかなア。

自分以外の大多数のオトナたちは所与の「テイクン・フォー・グランテッド・ワールド(自明の世界)」を生きており、無自覚で野卑で下世話でおまけにセンサク好きで○○○が×××で▲▲▲のホントに■■■な(爆笑)奴等と「見えて」やしないだろうか。たまに冗談交じりに「人生は・・」なんて言ってみるけど、本気で使ってるわけではない。少なくとも僕がそうだったからそのように思うのだけど、すべての若い男はラスコーリニコフであり、若い女は桃尻娘であると。

でも「好むと好まざるとにかかわらず」歳月が自然「人生みたいな」道を後ろにつくる。気がつけば出来てしまっている・・

やっさもっさ: 大勢が集まり、とりこんで、ごった返すこと。どさくさ。てんやわんや。 (岩波国語辞典 第四版 より)

ナナメ読みで読みかけだった『フューチャリスト宣言』(梅田望夫・茂木健一郎 著 ちくま新書)と『女のおっさん箴言集』(田辺聖子 著 PHP文庫)を並行して読んでいる。

おせいさんは好きである。可愛らしい。人間としてのチャームに溢れていると思う。『ラーメン煮えたもご存じない』(新潮文庫)を読んで以来、好きである。

「人生は・・ 」 「男は・・ 」 「女というのは・・ 」

おれも人生の「やっさもっさ」の最中にそうつぶやいたりするようになった。

「人生に意味なんて無い」

・・そうかもしれない。でも人生は悪くない。そう捨てたもんじゃない、

とキミに、「あの頃」の自分に答えるかもしれない。

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2008年3月 6日 (木)

沸騰するエモーショナルなもの あるいは、お茶の間の空飛ぶマッド・サイエンティスト

♪るウるる るるる るるるウ~ るるるるるウ~

と、頭のなかで既に「徹子の部屋」のオープニング・テーマが流れ始めている。

(「徹子の部屋」フィーチャリング 空飛ぶマッド・サイエンティスト:茂木健一郎  copyright by Kazuo Nomura )

ある書類をそれこそチマナコニなって探しているのだけど、どうやっても「御出まし」にならない。いたずらに時間だけが過ぎてゆく。・・世界中で一体どれくらい「探し物」に時間が費やされているのだろうか。と思う。

でもこんなロクデモナイような無用の時間の隣に、案外好(よ)き事が手招きをして待ってくれてたりするのだ。ときには道草を食うことだって必要だ 人間なんだものなあ・・ 「探し物」の副産物としての「忘れ物の再発見」は時にひとを元気づけたり、勇気づけたり、あいだみつおにしたり、開高健みたくしたり・・するんだなア・・と。

マア雷門の絵が描かれた「The Door Step to Japan 日本の扉 浅草 春夏号2007」の小冊子がひょっこり出てきたり、読みかけの「文明の共存の道を求めて 地中海世界から現代をみる NHK人間講座」のテキストが出てきてハッとなったり、するのだ。・・ 「沸騰するエモーショナルなもの」の記憶。

・・・

そんなことしてるうちにそろそろ時間が近づいている。

徹子の部屋のドアが見えてきた。http://www.tv-asahi.co.jp/tetsuko/

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2008年3月 3日 (月)

「ごきげんだぜ、京都ベイビー」と呼ばれて あるいは、ロックンロールの神様の揺りかごに擁かれて

080302_174901 会場ロビーにて

080302_175701 二階席から

開演までもうしばらくお待ちください。^

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・・・

驚いた。オープニングに筑紫哲也さんが登場。

「病気療養中のニュースキャスターを前説で使ってるのは俺たちだけだぜ」。

清志郎さんに「快気祝い」でやれと言われて、と。東京ブルーノートでのライヴでも前説を務められたそう。知らなかったなア。

筑紫哲也さん曰く「人間なんだか何だかわからない」清志郎さんの姿を・・そう、4年ほど前、尼崎アルカイック・ホールでのライヴで観て以来・・以前と変わらないエネルギッシュなステージを僕たちは観ていた。

「ジャンプ」からアンコール曲の「いけないルージュマジック」「トランジスタラジオ」「雨上がりの夜空に」まで。そしてラストにはアコースティック・ギターでソロで歌ってくれた。

「ロックンロールの神様」がいらっしゃるとすれば。

神様は時に酷い仕打ちをなさる。ギャンブルがお好きなようにも見える。

それでも、やはり確かに。

ロックンロールの神様はいらっしゃったのだ。

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080304_085801 快気祝いの記念手ぬぐいをいただいた♪

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2008年3月 2日 (日)

京都ベイビーと呼ばれる日

風邪を引いたようだ。少しのどが痛い。葛根湯を飲む。仕事の帰り道、渋滞。クルマでビーチ・ボーイズのゴールデン・ベストを聴く。まさしく黄金色。ささくれだった気分が凪いでゆく。皆さん・・ 渋滞でイライラしたらTHE BEACH BOYS がおすすめです。柔らかい、爽やかな南風が頬を撫でて、優しい空気に、浮き立つ気分に包まれることでしょう。いいじゃないの、じゅっぷんやにじゅっぷん。ゆっくり行こう。

「高い山ほどゆっくり登れ」

京都会館のサイトをみる。左京区、丸太町に近い・・川端通りの東側・・第一ホール・・写真で見る限りなかなか雰囲気のある良い会場のよう。二階席・・ここから清志郎さんを観るのか。ここで「京都ベイビー」と呼ばれるのか・・ウーン ふふふ♪

雛祭りのお祝いの苺のケーキを食べる。いつのまにか眠りに落ちる。目が醒める、朝方四時過ぎに。

風邪の神様はいずこへか・・ いよしっ!

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