雨に煙るスモーキーな、ドストエフスキーな一日 〜石井竜也BGMによる
みずいろの雨/石井竜也
http://youtu.be/NGUt4l9ksG4
自分がまるで暗愚に思えた瞬間もあった。
おれは、単なる愚鈍なのだろうか。
何とか取り繕ってはいるが、正真正銘のFOOLではないのか、と疑った。
大阪を駆けずり回った様な一日だった。犬の様に。
幾ばくかの金を得るために。脚を棒にした。
きょうは事情でクルマが使えず、電車での移動は覚悟していた。
午後1時前に堺の部屋を出た。
同じ南河内で運行する電鉄会社のご都合主義的いがみ合いのあおりで?大阪北〜南部を振り回された。
堺から梅田へ向かう途中、難波で格安レンタカーを借り出そうと思った。3時間軽なら1,380円。平日なら飛び込みでもいけるだろうと踏んでいた。迂闊だった。ナンバ営業所へ寄ったが、あいにくすべて出払っていた。
それでも何とか電車を乗り継ぎ羽曳野の自宅に辿り着いた。堺から梅田、梅田から羽曳野、さらに大阪狭山の金剛までの行程。
目的の必要書類は整った。
だが、そこからまたさらにバス、電車を乗り継ぐには、あまりにも時間を消費してしまっていた。
万事休すだ。残りは明日に持ち越しである。
丸半日かけて、立寄先の時間ロスもほとんどなく回り、辿り着けないとは、一体どんな田舎町なんだ?
愛しい人のために地べたを這いずり回って、馬鹿じゃないのか、おれは。
すべては明日と決まって、諦めて不貞腐れながら、駅までのバス道を歩いた。
爽やかな雨上がりの道を、すべてに毒づきながら歩いた。
自分がまるでラスコーリニコフの様でもあり、泥濘のなかの無垢の魂、時に哲学的セリフをさらりと言ってのける=酔漢マルメラードフと重なる様でもあった。
あるいは奔走する多弁なメフィスト的アナーキスト=ピョートル・ベルホーヴェンスキーに見える時も、
無頼の悪の華の様なピカレスク=スビドリガイロフを彷彿とさせる瞬間もあった。
すべて「私のなかに在る」と感じていた。
きっとドストエフスキーの現代性=アクチュアリティとは、圧倒的にリアルな人間の多義性に根ざすものなのだろう。
こんな時、ドラマであれば、聖なる娼婦ソーニャの様に美しい女性と出逢ってしまう、のだろうが、現実はそれほど上手くできていないのだった。
河内松原駅を19:40に出発したバスが、堺の夜の街をゆっくりと走ってゆく。

http://www.amazon.co.jp/罪と罰%E3%80%88上〉-岩波文庫-ドストエフスキー/dp/4003261356
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
















最近のコメント